2007年07月19日

「まだ120年しか経っていない」

昔、冬の会津若松へ飛行機と旅をした

九州とは違った雪景色に歩くのも悪戦苦闘したなぁ
土産店のお兄さんが、何度も滑りそうになるピヨらを
見かねて「雪道での正しい歩き方」を教えてくれた

ペンギンのようにかかとに力を入れて足幅短めに
歩くのだよ〜
まあ滅多に使うウラ技じゃないけどな(苦笑)

”鶴ヶ城”に行ったのだ

城の屋上には、戊辰戦争当時の藩主であった松平容保公と
白虎隊の肖像画があった
城が燃えるのを見て”もはやここまで…”と自刀して果てた
白虎隊の方々を初め会津藩の無念はさそかじ深かっただろうなぁもうやだ〜(悲しい顔)

飯盛山には白虎隊のお墓があったのだが
当時は官軍により埋葬するのも禁じられて遺体は野ざらしに
されていたんだそうだ…
見かねた農民らが埋葬してあげたと書いてあったな

「タブーの日本史」本を見かけてね
”PART1 ニッポンの残酷物語
・犬の屍体を喰らい生き抜いた会津藩士の末路

…と見出しがあったので

200707042057000.jpg

そういや、戊辰戦争の時の悲惨な話は旅行中に
博物館や資料館で沢山見て来たけど
その後の事ってのはそんなに詳しく説明は無かったな

題名に抵抗はあったけど…
興味惹かれて買ってしまったあせあせ(飛び散る汗)

「勝てば官軍 負ければ賊軍」
元々会津藩は幕府の為に頑張って来たのに
褒め称えられるところが逆に”朝敵”とさけずまれて
本州最南端の斗南(今の青森県)に国替させられて
飢えと寒さに耐え、必死で生きて来たそうだ

なにせ、あまりにも悲惨な生活ぶりに
地元の下北の人々は、斗南の藩士を指して
「会津のゲダガ」「会津のハドザムライ」と呼ぶようになった

ゲダカとは毛虫、ハドザムライとは鳩を意味する方言で
毛虫のように何でも食べ、鳩のように豆ばかり食べてるって…もうやだ〜(悲しい顔)

死んだ者も辛かったが、生き残った者も辛かったのね…

で最後に
1986年、戊辰戦争120周年を機に
長州藩の本拠だった萩市は会津若松市に
友好都市としての提携を申し入れたが、会津若松市は拒絶

その折に萩市が
「もう120年も経ったので」と歩み寄ったが
会津若松市は
「まだ120年しか経っていない」
と突っぱねた

たかが120年、されど120年・・・だね

白虎隊だけでなく、年代別に朱雀隊など他にも隊があって
それぞれ悲惨な目にあったそうだ

ホント平和って大切にしていかなきゃ!

この「タブーの日本史」他にも色々と書いてあった
人間って…罪深い生き物ねたらーっ(汗)
posted by ピヨ at 23:24| 福岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/48537268

この記事へのトラックバック

会津若松市 旅行
Excerpt: 会津若松市&旅行で泊まった、快適ホテル! !もうすぐ、予約した民宿に到着。もう少しガンバロー!直前予約だったけど、大丈夫かな!ちゃんと予約されてるかな。ちょっと心配です。会津若松(磐越西線)バス25分..
Weblog: 福島民宿日記
Tracked: 2007-08-10 20:24

会津若松市 旅行
Excerpt: 会津若松市&旅行で泊まった、快適ホテル! !もうすぐ、予約した素泊まりのホテルに到着。あと少しガンバロー!直前予約で、取れた素泊まりホテルだけど、大丈夫かな!きちんと予約されているでしょうか。ちょっと..
Weblog: 福島県素泊まり日記
Tracked: 2007-08-11 00:55
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。