2008年02月25日

「季刊ろうあ運動 56年新春号」

実は引越しを考えているのだ…

と言っても1人暮らしを始める訳じゃないあせあせ(飛び散る汗)
(あんな広い部屋もったいないし〜)

このブログさあせあせ(飛び散る汗)

実はこのSeesaaブログは、重い!再構築に時間がかかるし
テンプレート少ないし…
トラブル多いんだよねぇもうやだ〜(悲しい顔)

他にももっといいブログサービスあるからさ
変えようかと思ってね

でも3年も続けてるから引っ越すにも準備が色々と…ハイ
最初はココログにしてみた

でも…行間の隙間が大きくて気に入らないから止めた
FP2に一応登録したけど
まだまだ探し中ですあせあせ(飛び散る汗)
(カナカナさまよく見つけたねぇ)

・・・・・・・・・・・・・・・・
それはさておき

「季刊 ろうあ運動 56年新春号 14
〜特集 独立自営のろうあ者 〜


200802251957000.jpg

以前、連盟機関紙部長さん率いる元・中央委員仲間メンバーに
当時の思い出を伺った事がある
「今の全青研はホテルとか会場が立派だろ?
俺達の時は青年の家で、消灯が決まってて朝は体操で…」

ホントだ
第14回全国ろうあ青年研究討論会の模様が載ってたぴかぴか(新しい)
場所は国立岩手山青年の家だ〜
中央委員長が、現・連盟副委員長さんだぁ〜ぴかぴか(新しい)
若ーい!でも名残りあるなぁ〜

岩手県の青年部は全青研当日まで会場にテントを張って
準備に取り組んだんだって!感動ぴかぴか(新しい)

議長っていうが、座長かな?2名足りなくて代打を頼んだが
うち1人はそれを知らず帰りの切符を買いに行ってたとか…
でも無事勤め上げたそう

よく”青研は集団見合いの場だ”と言われるが…のくだりには
笑ってしまったわーい(嬉しい顔)

いつの時代も変わらないものねるんるん

独立しているろうあ者の職業って職人が多いと思っていたが
意外や意外
税理士と社会保険労務士事務所をやっておられてる方も居た

やはり通訳支援が不可欠だということだ
「料理が上手で有能な配偶者を得て…」とあって
うーん…どうかな?

北海道の阿寒湖に行った時に、ろうの木彫りの店があって
伺った事がある
奥様がアイヌ系で綺麗だったのを覚えてる
ペンタントを記念に買ったら、ご主人が器用に名前を入れてくれたな

その方の事も載っていた
本人に聞いた話も思い出して読むと感慨深かったなぁ
色々な苦労を乗り越えて来た夫婦の姿は素敵だったな黒ハート

いつも思うけど、元・連盟委員長さんの大家さんの「回想」が
”ここまで書いちゃっていいのんexclamation&question”と思うぐらい過激…
今ならスキャンダルだよねぇ…あせあせ(飛び散る汗)

昔はおおらかで何よりねるんるん
posted by ピヨ at 21:53| 福岡 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月21日

「季刊 ろうあ運動 55年夏季号」

いつまで続くんだ?このシリーズ…たらーっ(汗)

でもね、今はなかなか読めない貴重な本だし
昔の模様が垣間見えて面白いんだよねぇ〜


この際だから全部書こう!わーい(嬉しい顔)

「季刊 ろうあ運動 55年夏季号 12
〜特集 ろうあ者の戦争体験 〜

200802212001000.jpg

これはかなり貴重な内容ではないだろうか?

ピヨは以前、九州ろうあ者大会での青年研修会において
沖縄のろう老齢者の方々から戦争体験を聞く分科会の
司会を務める機会に恵まれたのだが
独特の手話表現に、そして台風にあえなく轟沈…
(いまだに心残りである…)

空襲にあい、子供の手をひいて必死に逃げた事や
空襲や飢えなどに苦しんだ体験…

兄弟4人全て聾で、徴兵免除されたのを「非国民」と責められて
きつい仕事をさせられたり、配給を減らされたりした辛い体験

那覇での逃避行体験も載っていた
小さな女の子がマラリアにかかってしまい、重湯とかを与えたけど
とうとう亡くなり、母親が半狂乱で抱きしめていた姿が
今でも生々しく思い出されるという

広島で原爆にあわれた方の体験もあった
機械の故障でベルトを直していたところ
(これが良かったみたいで周囲が壁となってまともに浴びなかった)
ドカーンと凄い轟音がして屋根が崩れて左腕を骨折したそう
助けを求めたけど誰も来てくれなくて…

しばらくして自力で這い出たら、周囲は地獄絵図だったそうだもうやだ〜(悲しい顔)

お腹の中に居た時に原爆にあった「胎内被爆者」の手話通訳者の
記事も載っていた
「決して戦争を起こしてはならない」
まことにその通りだ

「青い空は」の歌が載っていた

青い空は 青いままで子供らに 伝えたい
燃える八月の空 影まで燃え尽きた
父の 母の 兄弟たちの
いのちの重みを
肩に背負って 両手に抱いて


戦争体験を持つろうあ者がたんだん少なくなるね
こういう意味での、この本は貴重なものだと思うなぴかぴか(新しい)

他に「名も無く貧しく美しく」のドラマでの
手話指導のウラ話が載っていた

確か情報提供施設にもあったような…
今度借りてみようかなわーい(嬉しい顔)
posted by ピヨ at 21:29| 福岡 | Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

「季刊 ろうあ運動 55年春季号」

昔、高校3年の夏に部活を引退した後に
ある国語教師との約束を思い出して実施したのだ

「ピヨ、図書室にある新潮文庫50選を卒業までに全部
読み終えておきなさい」

「あ?」「いいね!約束よ」「…」
この教師、ピヨが2年の時に転勤して行った

就職が決まって卒業という言葉が実感を伴って来た頃に
何故かこの約束が頭に浮かんで来て
”卒業したらもう読めないんだからおし!”
根性見せたるexclamation×2と毎日のように図書室へ向かったのだ

正直、好みじゃないジャンルのもあったし
詩とかはもう最初は良さが分からなかった

この新潮文庫50選、多分ピヨが居た頃より
10年ぐらい前に寄贈されてた筈
(寄贈日付が昭和50年代になっていた)
でも借りた人はピヨ以外にはわずかに1人しか居なかった…
古ぼけた貸し出しカードに、貸出人の名前が
ぼつんと1人もしくは無くてふらふら
中には新刊によくあるページとページのくっつきがそのままだったり
「ああ、この本はピヨが初めての読者なんだな〜」
読書が趣味っていう人、少なかったからなぁたらーっ(汗)

10月から読み始めて…2月下旬にはようやく全て読み終えたな

達成感!

詩の楽しさも色んなジャンルの本を読む面白さも知った
あの国語教師には感謝だなハートたち(複数ハート)
(言われた当時は悪魔!と思ってたけど…苦笑)


「季刊 ろうあ運動 55年春季号 第11号」
〜特集 ろう学校とろう教師 〜

200802191958000.jpg

う〜んあまりろう教育には縁が無いピヨだけど
あの高校時代の経験を生かして読んでみた

様々なろう学校で働いているろう教師の話が載っていた

「ろう教師とひとくくりにしないで、色々なケースがある事を
理解して欲しい」という後天性ろう教師の意見

「ろう学校で教える場合、ろうあ運動を基本的に学んだ上で
教育を実施しなければならない」
活動を通して問題を知り、これをろう教育に反映させていく…

まずは人ありき!だもんね

今でもそうかも知れないが
ろう教師にとって悩みのひとつは職員会議だそうだ
同僚に手話通訳をしてもらう事が多いが、色々と気兼ねする
話がもめ出した時にうまく通訳が出来ない場合が多い

でもこういった時こそ、その場の内容を知りたい

うんうんどの職業にも当てはまる悩みではないだろうか…

ピヨの母校のろう教師も寄稿してある
懐かしいなぁぴかぴか(新しい)

アメリカ・デフ・シアターの「サマースクールに参加して」の
記事もあった
何か演劇の学校みたいだねるんるん

今、ろう教育問題に燃えてる方にろう学校の教師の方は特に
機会があったら読んでみたらいいと思うぴかぴか(新しい)

”温故知新”

論語(為政)

”子曰く、故 ( ふる ) きを 温 ( たず ) ねて新しきを知らば、
以 ( もっ ) て師と為すべし”

( 孔子 が言われた。『先人の学問、過去の事柄を研究し、
現実にふさわしい意義が発見できるようであれば、
人の師となることができるだろう。』)

きっと為になるよぴかぴか(新しい)
(問題は手に入れるのが非常に難しいって事だな…)
posted by ピヨ at 21:57| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月14日

「季刊 ろうあ運動 54年秋季号」

帰りの電車の中での最近のマイブームだ

「季刊 ろうあ運動 54年秋季号」
特集〜世界ろうあ者会議から〜


200802142049000.jpg

たまたまなんだけど
昨年は、スペインで世界ろうあ者会議があったね
その模様がMIMIに載っていたよ

1979年6月21日〜27日まで、ブルガリアにて
第8回世界ろうあ者会議が開催されたんだね

そしてその28年後に

2007年7月16日〜22日の7日間、スペインにて
第15回世界ろうあ者会議が開催されたんだね

んで、幸いながら両方の本を読み比べ出来たんだけど
まず感じたのは

「国際化が進んだな!」だった

ブルガリアでの世界ろうあ者会議の時は
国際手話もまだまだだったし、第一日本からの参加者一同で
外国の手話が堪能な方が居なかった

だからかな?
ほとんど「手話が分からず」「コミュニケーションが不十分だった」などの反省が多かったな

ある参加者の記事の中に
ブルガリアの日本語通訳の方が熱心に面倒見てくれたのだが
反面、手出し過ぎだと…
質問をして回答を得たいのだが、通訳者が自分で答えてしまったり
「こんな質問は要らないでしょう」と勝手に判断して取り止めたり…
通訳としての本来のあり方は?と問題提起されていた

今も連盟理事を務めてあるあの方やその方などなど…
28年前だもの
もう若いっexclamation×2 いやあ白黒なのが残念だよあせあせ(飛び散る汗)

福岡での第12回全通研の模様も載っていた
興味深かったのは
「おしゃべりに手話は不要?」

大会参加者のろうあ者の記事だ

実行委員会、運営委員会などの本部に沢山の人が入ったり出たり
でつかの間の夕食
手話を用いないでペチャクチャ喋ってる通訳者達
そのそばにボツンと一人で食べていたあるろうあ者
「なんで、みんな手話を使わないの?
全通研開催中の、しかもトップクラスの通訳者の皆が
そばにろうあ者が居るのを知りながら
どうして手話を使わずにお喋りをするのか理解に苦しむんだけど!」

うんうんこのろうあ者の怒りにはいたく同感exclamation×2

通訳の基本姿勢は、ろうあ者が同席している以上は
見ていようといまいと、手話で会話をする事である


結局「関係のない話だから…」とさほど気にとめず
お喋りを再開していたそうだ(記事によると)

プライベートな話なら席を外してやればいいのに
自分にはどうしても分からない悔しさを理解出来ないのかな?

もし自分なら、そういう姿勢の通訳者は
例え技術が抜群でも心から信頼はしないだろうな

この「ろうあ運動」シリーズ本
今読んでも参考になるような貴重な記事や問題提起がたくさんある

読んでいて面白いぴかぴか(新しい)

また後10冊以上あるんで
ゆっくり読んで行きまするるんるん
posted by ピヨ at 22:22| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月08日

「ろうあ運動 〜53年秋季号〜」

以前、カナカナさまから教えて頂いて興味を持った本がある

今は「MIMI」季刊が発行されているけど
このMIMIの前身となったのが「ろうあ運動」シリーズなのだ

何せ昔の本だから、絶版となっているようで…
”幻の本やなあ…”と思ってたら

何と!地元の手話サークルが保管している本棚にあった!
全部は揃ってないけど…10冊以上はあったぴかぴか(新しい)

意外なとこにあったもんだなぁ
灯台もと暗しだねexclamation×2

速攻、あるだけ全ての「ろうあ運動」借りちゃったるんるん

まずは、53年秋季号「特集:全通研大会の報告から」

200802072205000.jpg

確かに固いけど…面白いぴかぴか(新しい)

最初は、連盟理事や手話通訳者、各地の活動者の随筆から始まるのね
それぞれ考え方が述べてあって興味深かった

特に手話通訳活動は”年中無休24時間勤務”と思っている
ろうあ者の「いつでもどこでも必要な時に」という要求に
応える為には、少なくともこのような気持ちを持つ事が
必要ではないだろうか


思わずうなった…
その手話通訳者は、必要としているろうあ者の存在や
"基本的人権”を守る為という気持ちが活動を支えてると。

こういう深い内容があれでもかこれでもかってたっぷり入ってるぴかぴか(新しい)

静岡で行われた第11回全国手話通訳問題研究集会(全通研)
での内容がたっぷりだ


静岡といえば「松島解雇撤回闘争」が有名だ
それについての詳細が書いてあったので改めて勉強になった

重複障害者の就職問題、老後問題についても書いてあったのだが
目からうろこが落ちた!記事があった

家族がろうあ者なのを不憫に思って甘やかして育てた結果
補聴器を使えばある程度言葉のやり取りは出来るし
読み書きも平均的なろうあ者の水準以上の力を持っている

でも、根気と忍耐が無く、注意にも素直に従わない
人間生活や社会ルールに従う事が出来ない
友達も居なく誰からも相手にされない

基本的な知的能力を備えていても、社会生活のルールに従う事が
出来ない以上は、社会に受け入れられる事はない
そのろうあ者もまた「重い障害者」なのだって…

コミュニケーションが上手く取れない
友達や仲間と仲良く付き合えない
すぐキレて問題を起こす…

現在の問題に通じるものがあるんでないだろうか?

昔の連盟理事長であった大家善一郎さんの「回想」
戦前の聾学校生徒時代の話が載っていて時代の流れを感じる

ところどころに現れる「たつのおとし語」
連盟理事や手話通訳者などのウラ話が面白おかしく書かれていて
これまたいいね〜るんるん

このコラムは復活させて欲しいものだわーい(嬉しい顔)

昭和の風が懐かしくなる本でしたぴかぴか(新しい)
(次回は「54年秋季号 《特集》世界ろうあ者会議から」るんるん

いつになるかなぁ〜お楽しみあれるんるん
posted by ピヨ at 00:01| 福岡 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

「沖縄市場 〜南国のおもてなしレシビ〜」

自分でも悪い癖だなぁって思うのだが
本を買うと満足して”積ん読”になってしまうところが
時々ある…

手に入ると満足してしまって、すぐには読まないで
「お楽しみは後にとっとこ!」って
ずーっと先延ばしにしちゃうんだよねふらふら

ピヨ、家事の中では料理がまあ嫌いじゃない
(あんまり作らないけど…)
興味惹かれるレシビ本とか時々買っちゃうぴかぴか(新しい)
見てるだけで満腹しちゃって、なかなか作らなかったりしてあせあせ(飛び散る汗)

こないだ、沖縄へ旅行した時に
ふと見かけたのだ

200801242010000.jpg

「沖縄市場 〜南国のおもてなしレシピ」

面白そうぴかぴか(新しい)

沖縄の食材と言えば、ミミガー(豚の耳)にゴーヤ
うっちん(うこん)、紅芋に島マース(塩)、黒砂糖などなど

これらの食材を使った料理が紹介されていた

ひらめきドラコンフルーツとうっちんで色付けした巻き寿司
ひらめき紅芋を具にしたベシタブルサンド
ひらめきミミガーを入れたカレードリア
ひらめきアロエを入れたハンガリア風シチュー
ひらめき紅芋と島豆腐の揚げ物
ひらめき黒糖を使った色々なスイーツ

…まあなんて美味しそうレストラン

作ってみたいなぁ〜

が、意外な落とし穴に気が付いたのだもうやだ〜(悲しい顔)
「食材が手に入らねぇ!」

島豆腐やら紅芋、ましてドラコンフルーツなんて…なかなか無いよ…

まあそんなオチはさておき…

レシピ以外にも
沖縄でのオススメ!ケーキ屋さんや、伝統のお菓子に駄菓子の紹介
沖縄で頑張っている料理人などのインタピューも載っていて
料理が苦手な人でも興味深く読める内容になっているるんるん

沖縄に行く機会があったら
お土産にしてみるのも手よるんるん


ちなみにピヨが沖縄に行くとたいだい買って持ち帰るのが

・黒砂糖
波照間産のにこだわるのだぴかぴか(新しい)

・塩
「粟国島の塩」「雪塩」など色々変わるけど
やはり天然の塩を料理に使うと一段と味が良くなるのでね
それに体にもいいんだよるんるん

・車麩
新潟県にも似たような物があるね!旅行に行った時にびっくりした…
(でも食感はちょっと違ってた)
この車麩を崩して水に漬けて絞ったものを
豆腐や野菜、卵と共に炒めると"フーチャンブルー”になって
これがめっちゃまいう〜なんだよねわーい(嬉しい顔)

普通の麩で代用して作る事もあるけど…
やはり車麩が一番!

・ちんすこうショコラ
ちんすこうにチョコレートがかかっているものです
うちの母がめちゃ好きなんすよ…たらーっ(汗)

・サーターアンダギー
沖縄風ドーナツといえばお分かりかな?
揚げ立て!がオススメです
(でも家でも簡単に作れるので、そう買わなくなったかな?)

そんなピヨのお土産を見て
うちの母
「アンタ、食料品の買い出しに行った人みたい…」

…何度も行ってたらこうなって来るって!ね?(苦笑)

まあ真の達人は何も買わないで思い出だけを胸にしまって
帰るそうだから、まあお土産があるだけマシやん?ね?

沖縄に行く予定がある方、もしくは行きたいなぁって思ってる方は
参考までにぴかぴか(新しい)
posted by ピヨ at 21:33| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

「スピリチュアル・ジャッジ」

人間、生きていれば悩む事や迷う事なんて
山ほどあるものだ

乗り越えたり挫折したり…と色々と経験を重ねて
本当の意味での大人になっていくもんだよね


実はピヨ
土曜日に放送されている「オーラの泉」
毎週欠かさず鑑賞しているわーい(嬉しい顔)

国分太一くんが司会で(普通の感覚がいいんだよね!)
美輪明宏さんと江原啓之さんがアドバイスをするんだよね

美輪さんは霊感があるようだ
江原さんはオーラなど通常見えない物が視えるのだ
そんな二人が豊富な人生経験を元に色々と話してくれる

全面的に信じている訳ではないが
言われる言葉に筋が通っていて深みがあって…
改めて自分を見つめ直す良い機会になるんだよね

まあ別番組で、○木○子さんも同様に占いを元に
ゲスト陣へアドバイスをしているのだが…
相手によって態度が違うし、”そんな脅すような言い方は…”と
眉をひそめる様な傲慢な態度をするので
占いや鑑定に文句言う気は無いが、人間性を疑うね
占い師は鑑定を元に適切な助言をして
良い方向へ導くべきだと思うんだけどね

(こないだの小島よしおくんに対する態度は完全無視でひどかったらしいし…)

んで、買ってみました

江原啓之著「スピリチュアル・ジャッジ」
200712131957000.jpg

”私達に起こる事に偶然はありません。全ては必然です”

そうか〜当時大変だと思っていたが、今となってみれば
良い経験になったなぁと思うしね

なるほど〜と思うヒントがどっさりぴかぴか(新しい)

例えば
「付き合う相手の周囲の人間関係を知る事がもっとも重要!」
恋愛中黒ハートは”恋は盲目”状態になっているからね…
相手の本質を知るには一番かも〜

「辛い事を経験してこそ、たましいは成長し大きな幸せを得る事が
出来ます」

必ず得るものがあると信じて相手を許してあげる事だって

そうだよね
戦争も”憎しみの連鎖”で悲しみや悲劇が沢山起こって来たんだよね
難しい事かも知れないが、許せる勇気も必要ね

色々なケースに対して助言を書いてある
全て飲み込むって訳じゃないが、参考にはなるし
解決への一つの鍵になるね

悩んでいる方には一つの処方箋となるかも〜

なかなか奥深い本でございまするるんるん
posted by ピヨ at 22:19| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月04日

MIMI No117 〜Vivaスペイン 手話を通して人権を!〜

今、BSで「アイラブユー」を放送している
今更なんだけど、ピヨのTVでBS放送見れたんだ…
知らなかった〜あせあせ(飛び散る汗)

久々に見てるんだけど
主役の娘がもう健気で可愛いのぴかぴか(新しい)

以前、連盟機関紙部長さんが
「僕の渾身のレポートが載ってるから是非買って読んでみて!」と
勧められたんで買い求めておいたのだ

「MIMI 2007 No117
〜特集 Viva スペイン 手話を通して人権を!〜


200712042055000.jpg

今年はスペインで第15回世界ろう者会議が開催されたのだ
色々な視点からの大会記事が載っていて
実に面白くて為になるるんるん

ピヨが世界ろう者会議に参加するなんてこりゃ
奇跡でも起きなきゃ無いから…たらーっ(汗)
(海外旅行より温泉旅行の方が好きだもんで)

写真の”パエリヤ”美味しそうるんるん
今度、スペイン料理店へ食べに行こうかな…(笑)

当然なんだけど、会議や評議員会は国際手話中心なんだよね
参加者達の努力も勿論だけど通訳の苦労もあるだろうなぁ〜

本当に会議の内容を把握したい!と思ったら
国際手話の習練に、英語力を身に付けなきゃあかんねぇあせあせ(飛び散る汗)

”AP事務局代表者会議”の欄では
「アジアの心を一つにまとめる出来事が」があって
昨年の宮崎でのAPキャンプを思い出したなぁ
あの時の参加者の皆さん、素敵な笑顔で頑張っておられてたなハートたち(複数ハート)

青年部の方も、九州ろうあ者大会での青年研修会で
参加した時の報告があったので
それを思い出しながら興味深く読んだ

アジアの某国からWFD青年部役員が生まれたとか…
今後どう影響があるかは分からないが
これがアジアろう青年部にとっていい方向に向かう鍵になると
いいねぇ〜
(ちなみに滋賀の全青研に参加されていたようだから
実際にお会いして交流を深められた方も居られるでないかな?)


お目当ての機関紙部長さんの「スペインを歩く」も面白かったよ
イラストがそっくりで可愛いわーい(嬉しい顔)
書いた人誰だろう?
ウメダスさんにお願いしてサイン取り寄せちゃおうかしらん?(笑)

他にも色々な記事が載っていた
新潟県中越地震の対策本部による支援や
ギャローデット大学からの留学生とか
鳥取聾学校写真部とか
(そういやちばちゃん元気かな?)

毎号毎号、工夫を凝らした内容になっておりまする
興味あったら是非!読んでみたらいいよんるんるん

そうそう!カナカナさまから教えて頂いた
MIMIの前身である「ろうあ運動」の本


なんと!地元の手話の会の図書の中にあったぴかぴか(新しい)
さすがに全巻揃ってはないけど21巻はあったので
思い切って全部借りて来たわーい(嬉しい顔)

ゆっくり読んでレボート書こうかなるんるん
(但しきまぐれだからいつになるか分からないぞ…あせあせ(飛び散る汗)
posted by ピヨ at 22:40| 福岡 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

MIMI No116 〜機関紙なんてもういらない?〜

いきなりだがMIMIを購読しているのだ

本当は年間購読をすれば買い忘れが無くていいんだけど
なかなか申し込む機会がない…あせあせ(飛び散る汗)

あ、でも前購読申し込みをしようとして
情報提供施設へ行ったんだが「担当者が居ないから」と
断られちゃって…ふらふら

そしたらもう何か…申し込みする気が失せてしまって…
やはり勢いってのは必要ねるんるん

でもリンクしてる”うっちーの部屋”の管理人さんが
大活躍した!特集が載っているので早速買い求めて読んでみた

「MIMI 2007 NO116
〜特集 機関紙なんてもういらない?〜


200711142145000.jpg

おー!座談会だったのね
「日聴紙・MIMIに物申す」なあんて凄いテーマだぁ

出席者を見ると、おっ!ピヨの知り合いがうっちー以外に
2人も居る!いやあ懐かしいハートたち(複数ハート)

写真を見ると相変わらず元気で若々しい
頑張ってあるなぁわーい(嬉しい顔)


今、ネットの社会だからどうしても本などの情報は遅くなるけど
その分ネットには無い魅力が必要なのねぴかぴか(新しい)

皆さんMIMIをしっかり愛読されているってのが
凄く伝わる内容でした
(だから座談会に呼ばれたんだろうけど)

MIMIが出来てからの歴史や
当時携わった方々の想い出エビソートが一杯だ
そして編集の皆さんの苦労話も載っていて興味深かった

これ”機関紙なんてもういらない?”じゃなくて
”機関紙は沢山の数え切れない方々の血と汗と涙が一杯こもった
いつまでも遺して続けて行きたいもの”って
いうメッセージを強く感じたなわーい(嬉しい顔)

一般の本屋さんにも置いてもらって
手話やろうの世界を全く知らない方々にも読んでもらえる機会が
出てくればいいな

あ、教科書と同じように中・高校で授業に役立ててもらうとかexclamation&question

日聴紙とはまた違って面白かったな
今度、手話講習会の時にちょっと使ってみようかなぴかぴか(新しい)
posted by ピヨ at 22:30| 福岡 | Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

「恋文心中」

こう見えてもピヨは読書が趣味の1つなのだ

色々な本を読んでる
でもうちの実の弟が輪をかけて読書好きなので
いつもいつも弟から借りて読んでるんだよね(有難うキスマーク

NHK木曜時代劇にもシリーズで放送されて好評を得た
”御宿かわせみ”シリーズ


テレビでは、東吾役を中村橋之助、恋人のおるい役を高島礼子が
演じていたなぁ

東吾は旗本の次男坊
冷や飯喰いで実家の居候なんだけど、剣術の達人で人情味溢れる
良い男わーい(嬉しい顔)
色々な事件に頭を突っ込んでは解決へと取り組んで行くんだよね
正義感溢れる東吾にはいつも友人知人や家族が暖かく包んでくれてる

そんな東吾が愛するおるい
「御宿かわせみ」の女主人をしているが、元々父親は武士で
東吾の幼馴染なんだけど
町人の立場になったから、東吾の事は好きだけど身分違いだと
一歩身をひいて尽くしているんだよね

そんな2人が晴れて祝言を挙げて夫婦になったんだよ

「恋文心中」

200711122150000.jpg

幕末の騒乱の中、東吾にも職が決まり
兄の通之進がようやく許して”かわせみ”で祝言を挙げるんだよ

反対していた訳でないけど、東吾に職が決まるなり
後を継がせるなりしてきちんとけじめをつけたかったのだね

かわせみの皆を初め、2人を囲むゆかりの人々が
本当に嬉しそうに祝福するのが印象的だったなぴかぴか(新しい)

たいだい図書館で借りて済ますんだけど
この本だけは買ってしまいましたとさわーい(嬉しい顔)
おるいの嬉しそうな気持ちが伝わって来て何かこちらまで
嬉しくなったなわーい(嬉しい顔)

他にも短編が載ってた

「雪女郎」
 大雪の夜、甲州屋の番頭の忠兵衛が雪女郎を見た、と言います。
その後も何度か雪女郎が目撃されますが、
忠兵衛が雪女郎に殺されます。

→女の情念や嫉妬、ねたみは怖いもの
男性諸君、くれぐれも女心を裏切るような行為はしない事が賢明だよ


「浅草天文台の怪」
 回向院の御開帳で、楠木正成の鎧兜が人気です。
その後、回向院の境内に武者の幽霊が出るようになります。

→恋の逆恨みもこれまた怖いもの
こちらの想いが通じなくとも、相手の幸せを第一に考えてあげるのが
一番の愛情なのにね


「恋文心中」
 東吾は、講武所教授方として勤めるようになりました。
そして、軍艦操練所にも行くようになります。
そこで知り合った坪内文二郎から、東吾は相談を持ちかけられます。

→恋の不始末はてめえで片を付けろexclamation×2
やった事の責任はきちんと取らないとね…
追い詰められた女の辛さが伝わるなもうやだ〜(悲しい顔)


「わかれ橋」
 るいの古い知り合いの本郷の大和屋の喜久が「かわせみ」を
訊ねて来ました。喜久は、夫の新助に殺されそうだ、と言います。

→夫婦とは言えども、お互いの気持ちはなかなか伝わらぬもの
愛し合っていてもきちんと言葉や態度で伝えないとねるんるん


「祝言」
 「かわせみ」の客で、二十年ぶりに江戸へ来た本田という侍は、
昔の大火の折に行方不明になった播磨屋のおはつを探していますが・・。
 東吾とるいの祝言が行われました。

→東吾とるいがとうとうゴールイン!
本当に永い永い春だったなぁ〜おめでとうるんるん
(小説の中だけど…苦笑)

男も女も初恋の人はいつまでも心の中に残るもの
縁が無くて結ばれなかったとしても…


「お富士さんの蛇」
 吉野屋の娘のお初が、浅間神社の厄除けの藁の蛇を
首に巻き付けられて殺されました。
長助の同業の千歳蕎麦の兄妹に疑いがかかり、
長助は何とか下手人を挙げようとします。

→身分の差などで、幸せか不幸せかに差がつくこの時代
自分が悪い訳でないけどもこういった定めに生まれついた辛さ…
女心のせつなさが伝わって来たよ
確かに悪い事だけど動機や心境を考えると理解出来そうな気がする


「八朔の雪」
 八月一日の「八朔」の日に、吉原で紋日として
遊女が白ずくめの扮装をします。
軍艦操練方の連中が八朔の吉原見物を企て、
誘われた東吾は困惑します。

→東吾、新婚でるいに首ったけだから(笑)
でも誰にでも優しく接する東吾
だからこそ色々な方に慕われるんだなぁ
罪作りな男だなわーい(嬉しい顔)


「浮き世小路の女」
 医者の高橋良典が、妹分のおていがおもちゃにされた、と
女講釈師の菊花亭秋月にゆすられた、と訴えました。
秋月は、子供の頃の東吾を知っているようです。

→東吾はホントに小さい時からおるいだけを見ていたし
おるいもそう。
身分の高さを利用して女をもてあそぶなんて最低だな!

とまあ、それぞれ面白い趣向がしてあるのだ

時代小説が嫌いじゃなかったらおススメよるんるん
posted by ピヨ at 23:04| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月25日

「いつまでも、いつまでも お元気で」

たまたま本屋へ寄った時に見つけた本

どうしょうかなぁ〜と迷ったけど…まあ買ってしまった

特攻隊員もしくは亡くなられた兵隊さん達の遺書集は
何冊か持っていたけど
この本は写真と一緒に載ってある

海や空の綺麗な写真が悲しい遺書によく合っていると思う

「いつまでも、いつまでも お元気で」
〜特攻隊員が残した最後の言葉〜

200708251926000.jpg

まだ19歳〜30歳ぐらいの若い男性が
親や兄弟、子供や大切な人へ向けて最後の言葉を残して逝っている


その言葉を受け取った人達もさそかじ辛かっただろう…

以前、知覧の特攻平和祈念会館に行った時に
隊員達の遺書の中に、隊員の母からの返事が展示されていた
「死なないで生きて帰っておくれ
…この手紙は読んだら捨てて下さい」

当時は本当の気持ちを正直に表す事が出来なかったんだよね…
本当は誰も死にたくないし死なせたくないんだよねもうやだ〜(悲しい顔)

この本にも、かつての遺書集にも演劇にも引用されている
ある隊士の遺書

「母を慕いて」
この隊士の母は継母で、でも実の母のように可愛がってくれていた
隊士はそれを充分分かっているのに
「お母さん」と素直に甘えられなかったんだよね

それが死に際の遺書に
今までの感謝と謝罪と共に
「今こそ大声で呼ばせて頂きます
お母さん!お母さん!お母さん!と」

その遺書を受け取ったお母さん、本当にとっても辛かったと思う
実は気持ちが通じてたと分かったのに
肝心の息子はもうこの世に居ないんだものもうやだ〜(悲しい顔)

戦争は愛する家族を奪い、色々な悲しみを生み出すものだね
二度と繰り返す事のないようにしたいものだ


写真が悲しい遺書とよく合っていてまた悲しくなった
機会があったらご覧あれ

posted by ピヨ at 20:09| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

「まだ120年しか経っていない」

昔、冬の会津若松へ飛行機と旅をした

九州とは違った雪景色に歩くのも悪戦苦闘したなぁ
土産店のお兄さんが、何度も滑りそうになるピヨらを
見かねて「雪道での正しい歩き方」を教えてくれた

ペンギンのようにかかとに力を入れて足幅短めに
歩くのだよ〜
まあ滅多に使うウラ技じゃないけどな(苦笑)

”鶴ヶ城”に行ったのだ

城の屋上には、戊辰戦争当時の藩主であった松平容保公と
白虎隊の肖像画があった
城が燃えるのを見て”もはやここまで…”と自刀して果てた
白虎隊の方々を初め会津藩の無念はさそかじ深かっただろうなぁもうやだ〜(悲しい顔)

飯盛山には白虎隊のお墓があったのだが
当時は官軍により埋葬するのも禁じられて遺体は野ざらしに
されていたんだそうだ…
見かねた農民らが埋葬してあげたと書いてあったな

「タブーの日本史」本を見かけてね
”PART1 ニッポンの残酷物語
・犬の屍体を喰らい生き抜いた会津藩士の末路

…と見出しがあったので

200707042057000.jpg

そういや、戊辰戦争の時の悲惨な話は旅行中に
博物館や資料館で沢山見て来たけど
その後の事ってのはそんなに詳しく説明は無かったな

題名に抵抗はあったけど…
興味惹かれて買ってしまったあせあせ(飛び散る汗)

「勝てば官軍 負ければ賊軍」
元々会津藩は幕府の為に頑張って来たのに
褒め称えられるところが逆に”朝敵”とさけずまれて
本州最南端の斗南(今の青森県)に国替させられて
飢えと寒さに耐え、必死で生きて来たそうだ

なにせ、あまりにも悲惨な生活ぶりに
地元の下北の人々は、斗南の藩士を指して
「会津のゲダガ」「会津のハドザムライ」と呼ぶようになった

ゲダカとは毛虫、ハドザムライとは鳩を意味する方言で
毛虫のように何でも食べ、鳩のように豆ばかり食べてるって…もうやだ〜(悲しい顔)

死んだ者も辛かったが、生き残った者も辛かったのね…

で最後に
1986年、戊辰戦争120周年を機に
長州藩の本拠だった萩市は会津若松市に
友好都市としての提携を申し入れたが、会津若松市は拒絶

その折に萩市が
「もう120年も経ったので」と歩み寄ったが
会津若松市は
「まだ120年しか経っていない」
と突っぱねた

たかが120年、されど120年・・・だね

白虎隊だけでなく、年代別に朱雀隊など他にも隊があって
それぞれ悲惨な目にあったそうだ

ホント平和って大切にしていかなきゃ!

この「タブーの日本史」他にも色々と書いてあった
人間って…罪深い生き物ねたらーっ(汗)
posted by ピヨ at 23:24| 福岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

「知覧特別攻撃隊」を久しぶりに開く

前から何度も書いてあるが
明日から公開の「俺は、君のためにこそ、死ににいく」

この映画は、特攻基地があった知覧が舞台で
そこで特攻隊員の面倒を親身になってみていた鳥濱トメさんを
中心に悲しい実話を映画化している

思い起こせば、ピヨが社会人になり立ての時に
友人と一緒に南薩摩の旅ツアーに参加したのだ

そのツアーの中に入っていたのが
知覧の武家屋敷と特攻平和祈念資料館だったのね

当時のピヨは特攻隊については全く知識が無かったのね
学校の平和授業ではヒロシマ・ナガサキの原爆がほとんどで
他の事実はほとんど教えてもらってなかった

だから入って非常にビックリしたのだふらふら

まず入ると、壁一面に特攻で亡くなられた隊員たちの遺影が
飾ってある
氏名や当時の年齢、出身地が書いてあるのね

皆、若いよ…16歳〜30歳の方々がほとんどで…
そんな若い身空で遺書を書いて、覚悟を決めて往ったんだよね…

中でも驚いたのが、韓国、台湾の戦没者も居たということだ
強制連行とか炭鉱で働いてたとかは聞いた事あったけど…

当時は、韓国人達も日本人という事になってて
優秀な学生達は海軍などの軍隊に入れられたということだ

日本人ではないけど、日本の為に死んで行かなきゃいけないって
矛盾に大いに苦悩されたのだろうな…
でも自分がもし逆らえば残された家族や親戚に影響あるし…
(映画「ホタル」にてそのエビソートが取り上げられてる)

見学後、あまりにも無知だった自分が情けないと思い
迷わず買い求めた本

200705112236000.jpg

当時の写真や、遺書に遺詠に手記、知覧特攻基地における詳細説明に
戦没者名簿が載っておりまする

機会があればご一読あれ
posted by ピヨ at 23:27| 福岡 | Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

「今日われ生きてあり」

東京都知事に当選した石原慎太郎氏
賛否色々あれど、インパクトのあるお方だね

その石原慎太郎氏が、製作総指揮&脚本を手がけた
「俺は、君のためにこそ、死ににいく」

第二次世界大戦の最中、神風特別攻撃隊として
自らの命と引き換えに敵軍へ体当たりする世にも非業な作戦が
実施されたんだよね

その飛行基地となったのが、知覧、鹿屋、太刀洗などなど…
沖縄上陸した米軍対象には、主に九州方面からが多かった

その中でも、知覧は”特攻おばさん”と呼ばれる
鳥浜トメさんが戦後、亡くなった隊士の為に
少しずつお金を貯めて石灯篭を設立して来た
(その地が今の”特攻平和祈念資料館”となっている)

何度か行ったが、いつ行っても戦争の悲惨さを思い知るなぁ…

石原慎太郎さんは鳥浜トメさんに大変感銘を受けていて
お忍びで会いに行き、色々と話を伺ったり
「国民栄誉賞を!」と働きかけもしたそうだ

でもトメさんは多分そんな賞よりも
特攻隊があった事実を忘れずに、平和な世をいつまでも
保ち続けていってくれる方が価値があると思っていたかもなぁ…
(まあピヨ自身の想像であって実際は分からないけど)

トメさん以外にも、目立たないけど
隊士の皆さんの力になった旅館のおかみさんや
女学校の生徒さん方々も街の住民の皆さんも居られるしね

その知覧の特攻隊の隊士の遺書や家族の皆さんの証言を
集めて書かれた本

「今日われ生きてあり」神坂次郎著

200704302055000.jpg

たまたま以前、職場の友人に、知覧の話をしたところ
「もらった本だけど、興味あるようだからあげるよ」
と頂いたのだ
話してみるもんだね〜

著者も元・特攻隊員だった
だから特攻隊として死の覚悟をした者でないと
分からない心境や状況をきめ細かく書いてあって
改めて戦争は良くないと実感する

遺書を残された隊士と周囲の人の証言や手紙
エピゾートを詳細に紹介している

映画を見に行くつもりだから
もう1度読んでおこうっと
(字幕入り公開はいつかなぁ〜??)

戦前、戦中は今と違って義務教育を受けられた者は
全部でなかったそうだし
まして大学などの高等教育を受けられた者は
学力・財力が必要だったからごく一部だったそうだ
文章を書ける人はそんなに多くなかっただろうし
検閲もあったから、本音を書けなかったケースも
多かったそうだし…
(お世話に来る女学生や料理屋のおかみさんなどに
こっそり頼む事が多かったそうだ
→一般人の出す手紙は検閲がなかったので…)

形としては残っていないけど
実際の遺書や遺言はもっともっと多かったんだろうな…
posted by ピヨ at 22:01| 福岡 ☔| Comment(10) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

「母」〜山崎利子物語〜

昔々、よく全国手話通訳問題研究会の夏の集会に参加してた
(今は全国盲ろう友の会の方に行ってるけど…)

どこだったかな…忘れたけど
終了後に、オモちゃんの連れとして
当時の運営委員長さんとかその他色々な関係者の方々と
一緒に長野の温泉いい気分(温泉)旅行へ行った事があるのだ

あの時はなーんも考えてなかったけど
今思えば、相当な人達ばかりだった…無知ってコワイあせあせ(飛び散る汗)

でも皆さんとーっても優しくて色々な話を聞かせてくれたり
面倒を見て下さったりと至れり尽くれりだったのだキスマーク

本に実名が出てるのでバレバレなんだけど
あえてあだ名で行かせて頂くねぇ(笑)


富山のさだまさしのそっくりさん夫婦にも
とってもお世話になったのだ
いつも笑顔の絶えない心優しきお二人さんなのさ

エキちゃんの結婚式で
思いもかけず再会出来てホント嬉しかった〜ぴかぴか(新しい)


長野県のあたりの「安曇野 ちひろ美術館」にて
ちひろさんの大ファンだという奥様が
何にも知らないピヨに懇切丁寧に基礎知識を教えて下さった
お陰で、鑑賞時に”ああこういう事か””これにはアレか!”と
意味をつかめながらじっくり堪能する事が出来たのだ

諏訪湖の近くの「原田泰治美術館」の時にも
夫婦揃って詳しく教えて下さった
原田泰治さんは小児マヒで足が不自由だ
でも描く絵は繊細で暖かくて”昔の日本の良さ”を
感じさせてくれる
歌手のさだまさしさんと親交があって
さださんが名誉館長を務めてあるぐらいだ

この美術館はバイアフリーになっていて車椅子が常備されている
鑑賞しやすい環境になっていたなぁ

この旅行がきっかけで、美術館鑑賞の趣味も出来たんだよね
今思えば大いに人生にプラスになる旅だったなぁぴかぴか(新しい)


そんなさだまさしのそっくりさん夫妻のお母様を
取り上げた本

200704242134000.jpg

お二人の今までやお母様の事や仲間達との関わりなどを
優しい雰囲気で書かれてあるのだよ〜

もちピヨは知り合いだから!厚かましくサインもお願いしたのだ
「僕が書いたんじゃないけど…」と
テレながらも書いてくれましたのだ!

200704242134001.jpg

機会があったらご一読あれるんるん
(これを読めば、エキちゃんの結婚式でのスピーチの時に
ピヨが号泣した理由が分かるかも〜)


ちなみにこの「母」シリーズは他にも2つあって
どちらも持っておりますのだ!
ピヨ的には好きな本だな〜るんるん
posted by ピヨ at 22:21| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

「嫌韓流」を読んで考えた

こう見えてもピヨの趣味の一つは読書である♪

ジャンルは問わない
あれば何でも読んでみるのだよぴかぴか(新しい)

うちの母にプレゼントを買うついでに
ちょっと立ち読みしてしまい…ハマったexclamation×2

衝動買いしてしまったのだたらーっ(汗)「嫌韓流」

200704122059000.jpg

ピヨは今まで、日本は韓国に対して第二次世界大戦では
ひどい事をして来たんだなぁ〜と思ってた

でもそれにしても、韓国や中国からの非難は度を越えてるなと
不思議に思ってた

この本読んで、少しは疑問も解けたし
こういった考えや情報があるならもっと学校側で教えて欲しいと
思ったのだよ
(えっ?こんな事実が?!と驚くような事が沢山載ってた…)

内容的に難しいし考えさせられるけど
漫画だから比較的読み易いし、分かり易く工夫されてる

韓国に限らず、戦前の日本もそうだけど
教育と情報(マスコミ)次第で誤った方向に行ってしまう
怖さがある

小さい内から「鬼畜米英」と教えられて育ったら
そりゃあアメリカを嫌いになるよ
それと同じく”反日教育”をほどこしてたら
いつまで経っても、日韓の間は埋まらないだろう

”本当に友好関係を求めるのならば
お互いがお互いをよく知るべきでしょうね”


日韓問題だけでなく、その他色々な問題にも
当てはまる大事なポイントだな

色々と考えさせられる本だよ〜

歴史に興味のある方は是非ご一読あれるんるん
posted by ピヨ at 22:32| 福岡 | Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月14日

「アニキに聞けよ!」

今、火曜夜10時から「ヒミツの花園」という
ドラマが放送されてるのだ

主役の釈由美子も結構可愛いし、”花園るり子”扮する
4兄弟もそれぞれ個性あって素敵ハートたち(複数ハート)

脇役も負けてない!
釈由美子の元・上司に真矢みきが
”花園るり子”との付き合いが深く長い
他社編集者に寺島進が演じてる

実はピヨ、堺雅人も割と好きだけど寺島進も…黒ハート
「逃亡者 木島丈一郎」を鑑賞してから以来の
隠れファンだったりするのだ〜
いぶし銀の渋い魅力が堪らないのだぴかぴか(新しい)

そんな寺島進が本を出した
「アニキに聞けよ!」

200703142109000.jpg

ニュースでは、サイン会大盛況で
100枚用意した整理券がわずか数分で終わったそうだ
アイドル並みの人気だぴかぴか(新しい)
ピヨももし福岡でサイン会あるのなら
是非!会社休んででも行きたかった…

握手してもらえたらとっても嬉しいなぁ(照)〜黒ハート
ハグハグ…はちょっと大胆過ぎるねぇ…
いやあ恥ずかしくてそこまでは無理だね〜照れちゃう!(爆)

で、早速買って読みました「アニキに聞け!」
柄は悪いけど義侠心溢れるアニキ!寺島進が
ファンや読者の悩みに答えてくれる内容なのね

客観的に見れば、正直解決になってないと思うけど
アニキが自分なりに考えた結論が書いてある
悩み解決っていうよりも、アニキの考え方や人生観を
垣間見る事が出来るねるんるん

コレ…寺島進さんのファンだったら貴重な本だよ黒ハート
隠れファンのピヨにとっては満足です黒ハートへへへ〜
posted by ピヨ at 22:12| 福岡 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

うっちー!お見事な記事だったよ♪

今日、ちょっと興味惹かれる記事があった
「日本魚類学会の標準和名検討委員会が
差別的だと判断した魚類32種の改名案を出した」そうなのだ

イザリウオ・メクラウナギ・オシザメ・テナシエビなどなど…
その中で「オシザメ」ってのがあったので
どんな魚?と調べてみた

でもよく分からんなぁ…鮫ってもともと喋らないよな?
何故こういう名前が付いたのかな?知ってる方は教えて下さいませひらめき

…閑話休題

今日は思いもかけないプレゼントが届いたのだ
”誕生日でも無いし??頼んでた通販でも無いよな?”
開けてみたら

200702031843000.jpg

「手話通訳問題研究 98」
広がれ!聴覚障害者の職業〜夢が実現できる社会へ〜


送ってくれたのは、ご存知うっちーちゃんだ
第14期中央委員会組織部長として
前任者のピヨ以上に頑張っておられてる

そういや、以前の「うっちーの部屋」ブログにて
ピヨとスノーちゃんが白髪を増やしながら苦労して作り上げた
”青年白書 2006”を参考にして記事を書いたってあったな〜

「読んで感想を寄せて頂いたら幸いです」
まあ、うっちーちゃんったらホント気が利く人だねわーい(嬉しい顔)
将来の新・カリスマ連盟理事長にもなれるねぇ〜ぴかぴか(新しい)

早速読んでみたるんるん
アンケート結果を元に分析や考察を載せている
そうそう
当時ピヨも集計を進めながら、色々考えたものだった

全国各地から集めたので、地方による環境の違いはあれど
職場でのコミュニケーションがうまく行かないという悩みが多かった
給料や昇進などでまだまだ差があるとか…

まして今は不況なので、健聴者でもなかなか職が無い
この先も厳しい状況が続くだろう…バッド(下向き矢印)

聴覚障害者が希望する職種にて、コミュニケーションも上手く出来て
職場の理解もある上での満足いく労働が出来ればとても良いね

うっちーちゃんの記事はとても分かり易くて
これからの課題や取り組み案なども書いてあってとても良かったよ
ちょっと注文?っていうが、地域による格差も見てみたかったな

多分、関東・近畿・東海ブロックと、東北・九州・四国ブロックなどの
労働問題はかなり違うと思うんだよね
地方に住んでいるろうあ者は仕事が無くて止むを得ず
工場集中地帯とかに就職する事が多いからね

本当は地元で働きたいが…という聴覚障害者も多いと思う
そういった問題にも是非取り組んでいけたらいいね〜


うっちーの書いた「若い聴覚障害者の現状について」の記事以外にも
沢山の興味深い記事や内容が沢山載っていた
グラビアは熊本のお方!あーっ顔は知ってる!
あの高名な手話通訳士のK様が「私の娘よ♪」なあんていつも行事の度に
一緒に来ておられてる可愛い女性だ〜exclamation×2
今度、九州の行事にてお見かけしたら「見たよ〜」って冷やかしちゃおうるんるん
(フフフ、グラビアにもK様とのツーショット?!の分がある〜)

興味ある方はお買い求めて読んで下されハートたち(複数ハート)

うっちーちゃん、わざわざ本を送って頂いて有難うございました
(後でスノーちゃんにも見せに行くね!喜ぶぞぉ〜)


皆さんもうっちーちゃんに会う機会があったら
「グッジョブexclamationと褒めてやって下され(笑)
posted by ピヨ at 20:47| 福岡 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月22日

「音のない記憶」

ヒロボンたんに本を貸したら、お礼にって
「音のない記憶」という本をを貸して頂いた

200701210920000.jpg

「君が今度案内する知り合いの方は
井上孝治さんについてかなり関心を持っているって話だったよね?
予習を兼ねて読んでおくといいよるんるん
ヒロボンたん気遣い有難うございます〜キスマーク

井上孝治さんという方は、福岡在住で
ろうあの天才写真家と有名なお方だ

名前はよく聞いてたし、写真展の時は見に行った事もある
しかしこの本には”へえ!”と満へえ出したいぐらい
知らなかった事実や秘話がどっさりだった

3歳の時に階段から落ちて、聴覚と言葉を失いながら
ハンディキャップを乗り越え
フランスの「アルル国際写真フェスティバル」に招待され
「アルル名誉市民章」を得るまでの写真家となった

と同時にろうあ運動にも心血を注ぎ、全国のろうあ写真家を
一つにまとめ「全日本ろうあ写真連盟」を創立した



高齢のろうあ者に聞こえなくなった原因を聞くと
「階段から落ちた」という方が多いのだ
今も同じ理由で聞こえなくなる人が居るのかな?

写真に熱中するあまり、家業は奥様に任せっきりで
家族の方は大変苦労したそうだ
でも奥様が暖かく見守っていてくれたから
こうして”写真家”として名を成すまでになったのだな

ろうあ活動に熱中するあまり、家庭がおろそかになってしまう方も
沢山居られるだろう
何にせよ、家族の理解と協力は不可欠だな

印象に残ったのは
1958年暮れから1959年1月まで
返還前の沖縄へ渡って、写真を撮っていた事である
当時はパスポートが必要だったしお金も米ドルだった

沖縄に居たろうあ者達とも熱心に交流を深め
あちこちで写真を撮っていた


その沖縄の風景や生活を撮った沢山の写真が
30数年ぶりに沖縄で展示された時に大きな反響を呼んだんだそうだ

「あの写真は私です」とか「これに写ってるのは母です」とか
名乗り出て焼き増しを希望する人が絶えなかったそうだ

当時の沖縄は、戦争中に写真が焼けて無くなった人も多かったし
そして戦後も、戦争の傷跡がまだ深く残っていて
写真を撮る余裕があった人達は少なかった

だから井上さんが撮った写真を見て
本当に嬉しかったんだろうなぁもうやだ〜(悲しい顔)

そしてヒロボンたんから
「井上孝治さんの写真葉書は、井上孝治博物館及び
アクロスにある”JULIET’sLETTERS(ジュリエットレターズ)”
2店しか売ってないよ」

早速仕事帰りに寄ってゲット!

200701222152000.jpg

とても味のある写真ですハートたち(複数ハート)
井上孝治さんのプロフィール写真もあるけど
なかなか渋いダンディなオジサマです

もし生きておられる時にお会いして
「写真撮ってあげようか?」なんて言われたら
もう喜んでモデルになったかも〜(大爆笑)
あ、ちなみにヌードはお断りやで〜(念の為…)

機会があればご覧あれるんるん
posted by ピヨ at 22:04| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

最初で最後?!の記者体験♪

ちょっと前になるが、京都から送られてきた本がある

200701102017000.jpg

季刊 MIMI(みみ) 2006 No114号 」だ

何故、送られて来たのって?
クリスマスだから♪…ってな訳無いって!(自分ツッコミ〜笑)

実は、連載の一つである「人風景」

これは各都道府県の色々な分野で頑張っているろう者を取り扱っているのね
今回は福岡県在住の柔道でのデフリンピック出場を目指している方だ

「その方の取材及び記事を書いて来いっ!」と
連盟機関紙部長さん直々のご達しで、初めて記者デビューしちゃったのだぴかぴか(新しい)

どうも機関紙部長さんったら、隠れピヨファンであるらしーよ〜
(物好きな方だと思うだろうけど、こうみえても
子供や年配の方々には結構モテモテなんだよ〜ハートたち(複数ハート)


んで「このブログを書いているみたいに徒然と記事を書いてみないか?」
あんまり文章力に自信がありませんって言ったら
編集部には凄腕の編集部員が勢揃いで、どんな文章でも
丁寧に”化粧直し”(修正に校正っすね)してくれるから
心配しないで好きなように書いて構わないんだそうだ

それならいっか〜!実際大変なのは編集部員さんだしあせあせ(飛び散る汗)〜って
気軽に引き受けて、はるばる小郡まで出向いて
取材したのだよるんるん

取材対象となった柔道命のおじさんは
取材慣れしているようで、もうこちらが聞かないような事まで
どんどん話してくれるわ、昔の記事をコピーしてくれて
「コレを見て書くといい!君もその方がラクだろ〜」
あのー気持ちは有難いですが、これじゃ仕事になりませぬ〜ふらふら
下手でも自分で書かないと意味ないしね…

明るく気さくなオッサンで、記事には書けないようなexclamation&question秘話まで
披露して下さったぐらいだ
帰りには沢山お土産も頂いてしまって…恐縮ですたらーっ(汗)

「もしデフリンピック出場が叶って健闘して来られたら
ピヨ主催で”お疲れさん会”開催いたしまするぞ〜」
「おっ是非!」
その折は大勢の参加をお待ちしておりまするるんるん

「なんなら近い内でも全然構わないよ〜」
「ダメです!デフリンピックに出た後でのお楽しみに取っておきましょ」
「…うんそれを励みに頑張るよ…」

カメラ写真はどうもその〜自信ないので(メカオンチだから)
プロ級の腕前の方にお願いして撮ってもらった

その甲斐あって
こないだ機関紙部長さんと会った時に
「あの写真は見事だね〜君が撮ったの?」
「いえ、友人です」
「うん!あれは上手い!謝礼は半分に分けてあげたらいいよ」


機関紙部長さん、写真は絶賛してくれるけど
記事は全然褒めてくれない…もうやだ〜(悲しい顔)

でもまあなかなか出来ない貴重な体験でしたるんるん
機会を下さって有難うございましたキスマーク


一生に一度exclamation&questionであるだろうピヨが書いた記事が載ってる
「MIMI 2006年 第14号」

興味あったら買って読んでみてね〜ぴかぴか(新しい)
定価750円ナリっすよ


他にも、宮崎での全青研やAPキャンプ特集が載っていて
結構お得な内容になっておりますぞ〜超おススメなりよ〜ぴかぴか(新しい)
posted by ピヨ at 21:17| 福岡 ☁| Comment(13) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。